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日新館問題をナントカする

『八重の桜』でもたびたび登場していますが、
会津藩士の子息たちが学んだ「日新館」の名を聞く機会が増えました。
武家の息子たちは10歳になったら日新館に入学し
論語や四書五経を学ぶとともに、医術や武術、刀術、砲術など、
藩士として一人前になるに欠かせない教養と技術を学んで行きました。

設備の充実ぶりは国内随一だったようです。
例えば、周囲153mもある巨大水練場。
日本初のプールと言われており、ここで甲冑を着たままの泳法などを指導していました。

改めて調べてみると、開校は江戸末期の1803年でした。
1600年代にあったと思い込んでいたので意外でした。
戊辰戦争で焼失したのが1868年でしたから、
それほど長きにわたって活躍した学校ではなかったんですね。

復元された「會津藩校 日新館」はこちら。
http://www.nisshinkan.jp/

会津若松市内に当時の図面をもとに忠実に再現されており、
水練場はもちろん、外観や教育施設なども当時の面影を伝えています。
宿泊施設も併設されていますので、じっくりと武家の空気を堪能したいという向きにはピッタリです。
会津盆地の山ぎわ、緑豊かな自然に囲まれた場所にありますので、
のんびりとした時間を過ごすにもうってつけでしょう。

藩校の横にある城を眺めて、藩士の忠誠心に思いを馳せるのも一興・・・、
横にある城は2011年に赤瓦になってそれは見事で・・・
って、あれ?
おかしい。
城・・・が、
日新館の横に・・
ない(笑)

そもそも武家の街は平野部に築かれたのに、
山が間近にあるのはおかしな話です(笑)

そう、この日新館、再現されたとはいえ、
元ある場所とはかなりかけ離れた場所に作られてしまいました。
距離にして約9キロ。
仮に今の場所が正しい位置だったしても、
武家屋敷からの通学は困難を極める距離です。

しかも、今でこそ日新館の場所は会津若松市になっていますが、
平成の市町村大合併の前は「河東町」で、会津若松市ですらありませんでした(爆)
あの場所に作るという話を聞いたときは、
家族一同キョトンとした顔になったものですが、
確かにあれだけの施設を市街地に再現するとなるとさすがに難しいでしょう。
最初はどうなるかと思ったものの、
歴史ファンに支えれて20年くらい営業し続けており、
しかも今年は八重の桜効果もあって、人気が爆発傾向とのこと。
いや、よかったね~、という感じです。

しかし、レプリカで満足してはいけません。
実は【本家】日新館もごく一部で存在しているのです。
鶴ヶ城の西側、謹教小学校の東からお堀手前ぐらいまでの米代という地名の一帯がそうで、
今も「天文台」だけが当時の面影を伝えています。
IMG_0723_convert_20130502130211.jpg

住宅街の中に忽然と立っているので
気付かずに通り過ぎないようにご注意を。
昔はここで星を読んだのでしょうが、今は街明かりがあって綺麗な夜空がなかなか見えません。
そう言えば国立天文台の副学長(?)が会津の方だった気がします。
天文台の存在に刺激を受けられたのかもしれませんね。

もう一つ、“こじつけ”名所ですが、
お堀沿いの道にある「日新館スイミングスクール」があります。
日本初のプールの地にプールを作ったというわけで、
現代に再現された水練場よりも、ある意味リアルです(笑)

河東の日新館を見学したのなら、市内の“本家”もぜひ巡ってみてください。

日新館天文台跡
福島県会津若松市米代1-1-56


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西郷家の悲劇となよ竹の歌

一族21人が自刃した西郷家

前回でも予告した通り、「なよたけの歌」について紹介します。

会津戦争の激戦の中、会津藩の家老・西郷頼母の妻である西郷千恵子は命を落とします。
戦渦に巻き込まれたのではなく、自決です。

頼母の屋敷は鶴ヶ城の目と鼻の先にあります。
以前の記事八重たちが戦った場~鶴ヶ城 北出丸で紹介した鶴ヶ城のマップで言えば、
地図の上部、北口と書いてある「C」のあたりがそうです。
鶴ヶ城マップ

臨時駐車場である会津大学からのシャトルバスが、
ちょうどこの「C]の北へ300m程度の場所に止まりますので、
鶴ヶ城へのアクセスの折に訪れる人も多いかもしれません。

会津戦争の最中、西軍の手は頼母邸の近くまで及びます。
城とこれだけ近い距離にあるのですから、千恵子は覚悟を決めます。
女がいては戦の足手まといになる――

そんな強い決意のもと、我が娘、義母、義妹ら一族21人とともに、
鶴ヶ城のたもとの屋敷で自刃して果てたのです。
白装束に身を包み、辞世の句を詠み、
二度と会えない者同士が飲む水盃を交わしたといいますから相当な覚悟です。




弱い竹にも決して折れない節がある


実際に戦いに参加した八重とは対照的と言えばそれまでかもしれません。
しかし、千恵子以下、西郷家の女性が万が一、敵につかまりでもしたら・・・
藩の重鎮だけに戦局に大きな影響を与えたでしょう。
また戦火の中でレイプ等も行われたようですので、
武家の女がそうした辱めを受けられれないという意地もあったのでしょう。

しかし、一族21人の自刃とは、子供の頃から悲劇を聞かされてきた自分にとっても、
今もなお、驚愕に値することで、なかなか事実を受け入れられない事実、ではあります。

千恵子の武家の女ならではの強い信念は、
冒頭でも触れた辞世の句に色濃く表現されています。

なよ竹の 風に任する 身ながらも
撓(たわ)まぬ 節は 在りとこそ 聞け


小さくて弱い細竹のように、私は時代の風に身を任せてきた。
しかし、弱い竹にも決して折れぬ節がある(忠義とか貞操とか?)
というような意味になると思います。

まさに「ならぬことはならぬ」に通ずるものがあります。
やってはいけないことはやってはダメ。
文字面だけを見ればそういう意味に捉えられる言葉ですが、
武家の魂を曲げずに生きろ、というメッセージをそう表現しているだけで、
否定形に否定形を重ねたネガティブな言葉ではないと、僕は思います。
会津藩に脈々と伝えられてきた武家の魂。
なよ竹の歌には、会津の伝統が表現されているのです。
だからこそ、今日まで人の心を掴んで離さないのでしょう。

ジモティーなポイント
会津在住時はあまり歴史を知らなかったこともあり、
西郷千恵子の詠んだ句は、中野竹子のものだとずっと勘違いしていました。
会津人でも混同している人が多いので別に恥じゃないもんね!ということにしてください(泣
竹子は竹子で物凄い句を呼んでいるのですが、それは別の機会に紹介します。


なよ竹の歌についたマイナーコードなメロディ


後生、千恵子の句にはメロディが付けられました。
以下のリンクにその歌があります。
http://aidulaflora.hahaue.com/nayotake.html
「合唱を聞く!」を押してください。

お聞きいただければ、前回「ドナドナ」などといった理由がわかるでしょう。
あまりに暗すぎて、聞いた後は半日くらい足取りが重くなりそうな歌です(笑)
会津若松の小学生は音楽の授業でこれを歌うことになります。
合唱コンクールの出し物でも歌った気がしますが…

なぜ、なよ竹の歌がここまで注目されるに至ったのかと言えば、
自刃の後に西郷邸の踏み込んだ土佐藩士が、
まだ息も絶え絶えだった千恵子の娘に介錯を頼まれ、
辞世の句を持ち帰ってその死を後世に伝えたから、だと言うのが大きいと思います。

もし、土佐藩士がそこにいなかったら、
あまり注目されることはなかったかもしれません。
自刃するまでに追い込んできた敵によって
後生に残る名句が脚光を浴びる。
なんとも不思議な感じがします。





善龍寺の「なよたけの碑」~5月1日に碑前祭を開催~


前回の記事「小田山」では、少しなよたけの碑についても触れました。

小田山には善龍寺という寺がここにあるのですが、
昭和3年に「なよたけの碑」が建立され、
会津戦争で亡くなった233名の婦人の名が刻まれています。
西郷頼母夫妻の墓、千恵子以下自刃した「21人の墓」もここに祭られています。
悲劇を今に伝える貴重な場所だというわけです。

毎年、5月1日には、「奈与竹之碑 碑前祭」が開催されます。
高校生による「女白虎隊」の剣舞も行われるそうです。
http://www.aizukanko.com/event/127/
を見ると、
なぎなた使いを集めた娘子隊のような気もしますが、いろいろ言い方があるのでしょうか。
この日に合わせて記事を書くつもりはなかったのですが、
調べていたら1日とわかりびっくりしています(笑)

ちなみにこの善龍寺、会津には珍しい竜宮造りの門でも有名です。
子供の頃、善龍寺に遊びに行って、なんでこんなおとぎ話のような門が
こんな山奥にあるのだろうと不思議な気持ちになったものです。
日光には竜宮造りの門があるそうなので、
日光街道を経由して伝えられたのでしょうね。

寺の建物を見に行くだけでも、十分に価値のあるスポットだと思います。

善龍寺

福島県会津若松市北青木13−33

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小田山

今の小田山は子どもの遊び場


今日の『八重の桜』(第17回 長崎からの贈り物)、
いよいよ兄つぁまから八重のシンボルである「スペンサー銃」が贈られました。
この銃を片手に八重は会津での戦いに馳せ参じるのですが、
もうじきこの物語の本題ともいうべき会津での戦闘に入ることになりそうですね。
結末を知っているだけに心が重くなります。

さて、今回、八重の弟の三郎が「小田山」から城を見たとありました。
その言葉に「城が丸見えである」と危機感を持った八重の旦那の尚之助は、
対策を練るために白河へと足を運びます。

ここで地元出身者として気になったのは「小田山」の言葉。
会津若松市内在住者なら、その名をよく知っている場所です。
お城から南東方向に行ってすぐにある小田山は
昔から子どもたちの格好の遊び場になっています。

市街地からアクセスがいいのに、自然がいっぱいの山が広がっているのでそれも当然のこと。
しかも、冬になれば、お楽しみが待ち受けています。
市内にはあまりないスキー場が広がっているのです。
今は「子どもの森スキー場」と言うみたいですね。

僕は学校の授業や放課後にスキーをしにこの山に行きました。
リフトがあるような豪華なスキー場ではなく、
滑るにはえっちらおっちら自力で斜面を歩かなければならないのですが、それもまた一興。
猪苗代などの本格的なスキー場に行くのは地元民でも骨が折れる者ですが、
小田山なら気軽に滑りに行けるので、本当に身近な存在に感じていました。

西軍の砲台が設置された


スキー場がある場所なので、当然、見晴らしは抜群です。
お城にとても近いだけに尚之助が危惧したのもよくわかります。
でも、対策するには山を動かすか、城を動かすかしなくてはならないので非常に難しかったでしょう。

尚之助の予感通り、会津戦争では小田山が西軍の拠点の一つになりました。
会津若松観光ナビhttp://www.aizukanko.com/spot/141/を読むと、
西軍がここから城を砲撃したそうです。
射程2㎞のアームストロング砲だったかな?
十分に狙える距離、というか余裕で城を飛び越すくらいな近さです。

子ども時代に小田山でスキーをしていとき、
学校の先生が「ここは西軍の陣地で……」と話していたのを聞いた覚えがあります。
だからといって、会津藩の無念に敬意を表してスキーを止めるなんてことはしません(笑)
いずれ書きますが、昔に縛られる感覚は、
今の会津には強く残っていない気がします。

さて、この小田山、もともとは会津の開祖である葦名氏の居城のあった場所でもあります。
中世と言いますから、1300年ごろの話でしょうか
また、会津の家老の墓なども点在していますし
西郷千恵子(西郷頼母の妻)が詠んだ辞世の句の碑がある善龍寺もあります。
見どころは結構あるので小田山を観光するというのも悪くないかもしれません。
緑の中を散策するための道が整備されているので、
ちょっとしたピクニック気分も味わえます。

そういえば、小学生はまだ「なよ竹の歌」を歌わせられているのかなぁ。
トラウマものの千恵子の辞世の句を、ドナドナ風味のメロディに乗せた
なんともすごい歌なのですが、これは次回、紹介しましょう。

ジモティーなポイント

300m程度の小さな山ですが、
てっぺんにある西軍砲台跡地に行くのなら
街歩きの服装だとちょっとオススメはしません。

ウチの爺さんが小田山で迷って
帰ってきたのが夜中の2時になった、ということがありました。
ほぼ遭難状態で、あの時は家族一同、焦りに焦ったものです(遠い目)

遊歩道を案内に沿ってしっかりと歩けば問題はないでしょう。
(ということは爺さんは何をしたんだと・・・)
ただ、一応、動きやすい格好を選択してください、
という遭難者(?)家族からのお願いでした(笑)。






小田山
福島県会津若松市門田町大字黒岩舘山丙

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斉藤一の墓は七日町にあります。

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会津と縁が深い斎藤一

会津藩は京都守護職として新撰組を抱えていましたが、
『八重の桜』ではそれほど詳しく描かれてはいません。
むしろ「ならず者集団がまたなんか無茶やってくれているよ」という視点です。
薩長に敵視され、幕府にも軽くあしらわれ、
内部でも新撰組が勝手をする。
会津の悲劇を強調するためにああいう風になっていると思われますので、
新撰組ファンの方はどうかご勘弁ください(ぺこり

その中でスポットライトを浴びているのが斎藤一です。
近藤勇でも土方でも沖田でもありません。
新撰組随一の剣客ではありますが、
あくまでもバイプレイヤーという印象が強い彼が何故扱いが大きいのか?

実は斉藤は戊辰戦争後も会津で戦い、晩年は会津で余生を過ごしました。
墓も故郷ではなく会津に作ってくれと本人が要望したのです。
時の藩主・松平容保からの信頼も厚かったとか。
新撰組の中ではかなり会津とは縁が深いのです。

時尾さんと言えば?

明治に入ってからの名前は藤田五郎。
るろうに剣心』ファンの人は、その名前の方が通りがいいでしょうか。
あの作品では暗殺者で腹の内はわからない謎な人間だけど、
実はいい人的なツンデレな扱いだったと記憶しています。
そう言えば、どの作品でも斎藤はそんな感じで表現されている気がします。

既にお気づきの方も多いでしょうが
貫地谷しほりさん演じる高木時尾は、『るろうに剣心』でも斎藤(藤田)の大切な人でした(ネタバレ)。
媒酌人は容保だったんじゃないかな。
多分、最終回近くまで斎藤一は登場します。

さて、その斉藤一の墓は、七日町の阿弥陀寺にあります。
下が入口写真。10年くらい前にアナログで撮ったものをスキャンしています。

IMG_NEW.jpg

そんなに大きくない寺ですので、墓の位置もすぐにわかるでしょう。
こんな感じになっています。

IMG_0009_NEW.jpg

墓碑には「藤田家」と刻まれていますので、
新撰組ファンより、剣心ファンの方に響くものがあるかもしれません(笑)

七日町なら、おそらく会津観光をされる方の多くが訪れるはず。
その折にぜひ彼の墓に立ち寄って
新撰組の中で最も会津を大切にしてくれた男に手を合わてください。

ジモティーなポイント
この5年くらいで阿弥陀寺周辺の道が整備されてアクセスもしやすくなりました。
前の大河ドラマで『新撰組!』が描かれてから、
阿弥陀寺の近くに新撰組のハッピや幟を売る店ができています!



阿弥陀寺
福島県会津若松市七日町4-20


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会津ソース

いよいよゴールデンウィークに突入しました。
最大で9連休となる2013年のこの年のGW、『八重の桜』で沸く会津への旅を考えいている人も多いはずです。

そんな折、こんなニュースが飛び込んできました。
会津名物のB級グルメ「ソースカツ丼」にかかわる話題です。

「公認ソース」26日から販売 会津ソースカツ丼の会
http://www.minpo.jp/news/detail/201304268070


記事によれば「会津産の有機野菜を使い、会員らが研究を重ねた自信作」とのこと。
会津は何故かソースカツ丼が昔から定番でした。
僕が地元の住んでいたン十年前も好んで食べられていました。
残念ながら僕は煮カツが好きなので相容れませんでしたが(笑)

その会津の魂が籠ったソースカツ丼の“公式の味”が登場したというわけです。
26日から限定600本を販売とのこと。
もし会津を訪れた際には、新しい土産として試しに購入してはいかがでしょう。

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プロフィール

ビー太

Author:ビー太
福島県会津若松市生まれ。
会津を離れて十数年。
結婚後、嫁と子供を案内するために
帰省のたびに市内近郊の観光地を巡るようになり、
会津の良さを再認識。

地元民(元)ならではの視点で、
会津の魅力を伝えていきます。

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